エレガントな毒の吐き方
エレガントと言いながら「吐く」って。吐くってすごいですよね。毒を吐く、エレガントに毒を吐くってどうーゆ―ことだ?と思って購入しました。
基本的には人との衝突を避ける傾向にある私、それでもやはり生きていれば「オイオイオイオイ」と思うことは出てきます。でも、決して関係性を悪くしたいわけではない。さらには人を変えるなどということが出来るとは思っていない。
それでも何か言ってやりたいわ、という時に役立つかな?とささやかな希望をもって読むことに。
エレガントな毒の吐き方
京都の人、しかも昔からその場所に住んでいる、選ばれし人(?)が使うような言い回しや考え方を紹介する本でした。
京都は長くその場所に変わらずに暮らすため、隣の人とあからさまに波風を立てるわけにいかない。
そのために、さりげなく相手が気づくような言葉の種をまいて、相手の中でそれが発芽すればよいし、埋もれてそのままなら、ダメな奴め、という評価なんだよ、と。
文脈の不自然さや、言葉の裏に隠された本音を読めないやつは相手にしないらしいです。
実際に使ってみた
エレガントに毒を吐いてみました。
でもですね、、、、、なんか、なんか自分が嫌な奴みたいな気分になりましたよ。
仕事のできない人に「かなり素敵な、もはや一段階上を生きてますよね」って、もう完全にバカにしている発言をつい吐いてしまいました。
これ、気づくかな?やっぱり気づかないよね?そう、気づかないんですよ。まあ相手を傷つけたいわけではないので、それは逆に良いのですが、とにかくまあ、仕事ができない人って気づけない。
で、それを聞いて気づく人もいて、「わお!言うね」とか笑いの種になっちゃうんですけど。
でもこれって、感づかない人をネタに、解る人だけで馬鹿にして笑っている状況、つまり、いじめじゃないか??と思ってしまって、そこから気持ちがもやもや。
結局言うんじゃなかった、って思いました。ヤダヤダ。
感想
結局、京都の人のように、気の合わない人とそれでも延々に関係を続けていかなければならない、究極の縛りみたいなものがない、ド庶民な私からすれば、「わからないのね、まあ、あなたレベルではそうでしょうよ。」みたいな、はっきり言わないけど見下しているかのような表現は、性に合っていませんでした。
我慢できないなら、離れる。
我慢できないなら、自分の考え方を変える。
後からじわじわと後を引いて、毒として効果が出てくるような小さなとげを残すような人、私、嫌い。
じゃあどうするの?
職場に嫌な人がいたら、副業を頑張る⇒本業の重みが減る、すると本業での人間関係も自分への影響力が減る
困ったママ友⇒かかわらない、OR それでも可愛い子供たちを育てているから、その点だけでも尊敬できると思う、でも離れる
本当の問題は家族
家族に対して我慢をしているときは、ある意味京都と同じくらい、にっちもさっちもいかない関係性の継続が必要な状況かと。
ねえ。
でも人は変えられないし。
まあ自分の腹の虫を抑えるために、エレガントに毒を吐いてみても良いけど、察しがよければもめるし、だいたいは察しもよくないから、何も変わらない。それでも自分のなかで折り合いがつけられるなら良いのかな。
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